山梨県は甲府の中心に鎮座する甲府城(またの名を舞鶴城)を今回は取材してきました!
駅からも近いのでアクセスもよく、甲府市内を一望できる天守閣跡も見どころですのでぜひチェックしてみてください!
晴れた日にはきれいな富士山も見ることができますので、要チェックです!
甲府城?舞鶴城?
甲府市内にあるので甲府城という呼び名はしっくりくるのですが・・・
なぜ舞鶴城と呼ばれるのでしょうか?
「鶴が舞うように美しい城」
ここから舞鶴城と呼ばれるようになりました。
ほかにも古くは甲斐府中城や一条小山城、赤甲城などとも呼ばれていたそうです。
どちらかというと「舞鶴城」という呼び名は歴史が浅いようで、「甲府城」と呼ぶのが一般的なようです。
甲府城は武田家が作った???
これは勘違いしている方もいますが
甲府城を築城したのは武田家ではありません!!!
武田家が滅亡したのち、豊臣秀吉の命令で完成させた石垣を持つ近世城郭です。
〇近世城郭と中世城郭(山城)の違い
中世城郭(山城)は名の通り、山に築かれた城で堀や土塁が基盤になっています。山を切り崩しているため地盤はほとんどが土でできています。
一方で、近世城郭とは織田信長の安土桃山時代以降から江戸時代にかけて天守の建つものを近世城郭と呼びます。
平地や低い丘に石垣を積み上げ、築かれており水堀や瓦葺の建物を備えています。
時代とともに変わる甲府城の役割
武田氏が滅亡したのち、豊臣秀吉の命によって築城され西日本を守るための拠点として使われていました。
しかし、天下分け目の合戦、関が原の戦いで勝利した徳川の領土となり江戸を守る西の拠点として活躍していました。
明治維新後は新政府の官軍に引き渡されすべての建物は壊されてしましました。
現在に至り、当時の1/3の大きさで「舞鶴城公園」として名を改め市民に愛される場所となっています。
甲府城の魅力
上でも述べたように甲府城は石垣を用いて築城されている「石の城」です。
石垣といっても積み方は様々です。
「野面積(のづらづみ)」・・・自然の石をあまり加工せずに積み上げていく方法
「打込接(うちこみはぎ)」・・・石を加工し、形を整えて打ち込んで積み上げる方法
「切込接(きりこみはぎ)」・・・石を四角く加工して積み上げる方法
これら3種類が一般的な方法です。
甲府城はもともと「一条小山」という山があった場所を切り崩しながら築いており、そこにあった安山岩の岩盤を利用しています。建築方法は「野面積」を採用しており、現在でも石垣が良好な状態で残っている貴重な城跡です。
石切場跡
「舞鶴城公園」内にはこの石を切り崩していた石切場が2箇所あり、当時の痕跡を観察することができます。
〇どうやって石を切っていたのか?
まず、割りたい場所に下書きをし、矢(クサビ)を打つための穴(矢穴)を掘ります。
この矢穴に矢を入れ大玄翁(おおげんのう)という大きなハンマーで矢をたたくと石にひびが入って割れます。
石垣として積まれている石材にも矢穴を見つけることができますので、ぜひ探してみてくださいね!
甲府城はまさに地産地消の当時の面影を残した城ということでした。
甲府市内を一望!天守閣跡
甲府城の天守閣があった場所です。いわゆる天守台です!
甲州街道・駿河街道や城下町、武田氏造った中世の城下町を見下ろすことができます。新旧の城下町を一気に見ることができるのは全国的にも珍しく富士山も見ることができます!
天守台の上からの動画をとってみましたのでご覧ください!
天守台の上には周りに見える山々の説明が載っています。
山脈の囲まれた甲府盆地ですが、360度見渡せるこの場所はなかなか貴重ではないでしょうか?
鉄門(くろがねもん)
明治以降に甲府城の中の建物はすべて取り壊されてしまいましたが、文化的価値や理解を深めるということで再現されることとなります。
〇調査・研究
絵図・古門書・古写真等の史料調査や、遺構(昔の建造物の跡)の発掘調査を行います。合わせて有識者によって組織された専門委員会の指導を受け復元の根拠を整えています。
〇保存
残存する礎石を使い、原位置へ復元しました。また、東西の石垣に残る梁の跡も使用し、鉄門の形を復元しています。
〇工事
木工事・左官工事・屋根工事とも、在来工法で作業を進めています。木材の加工、土壁塗り、瓦作成など、様々な工程がありますが、昔から伝わる工法で仕上げられています。
このような手順で復元に至りました。
難しいことはさておき、造りや色も素晴らしく見とれてしまします。また鉄門から見る甲府市内の風景もなかなか見ごたえがあります。
のちに紹介しますが、遊亀橋(ゆうきばし)やその下の堀まで上からの景色が見れて少し見惚れてしまいました。
見惚れて写真を撮るのを失念してしまいましたので、、、ぜひご自身の目で見てみてくださいね!!!(笑)
稲荷櫓(いなりやぐら)
城内の鬼門(北東)に位置することから艮櫓(うしとらやぐら)ともよばれ、江戸時代には武具蔵として使われていた建物です。明治初年まで残っていたことが古写真でもわかっており、発掘調査でも2度にわたり建物を建築した痕跡(遺構)と、土地の平安を祈るための輪宝(地鎮具)が6点見つかっています。
現在の建物は平成16年に復元されました。
〇館内を観覧
稲荷櫓は中に入ることができます!
※入館は9:00~16:00
館内には発掘調査で見つかったものやしゃちほこのレプリカ、はたまた甲府城の見どころも紹介してありぜひ押さえておきたい場所となっています。
見学料は無料で入ることができますのでその点もポイントが高いですね!
では館内を見ていきましょう。
〇下の様子がうかがえる?
櫓というだけあって少し高いところに稲荷櫓は建っています。
下の様子がうかがえて、高所恐怖症の私はこの高さでも少しヒヤッとしました。意外と高さがあるので覗き込んではいかがでしょうか?
〇出土品の数々
調査のために甲府城跡地を調査していた際に発掘されたものが展示されています。
普通こういった歴史的価値のあるものは博物館に展示されいるものだと思っていたので、かなりびっくりしました(笑)
しかも無料で入れる場所にです!
江戸時代にでは要所として徳川の拠点となっていた場所でもあるので歴史的・文化的にも価値のある出土品だと思われます!出土品とともに説明書きも加えてありますので、何に使われていたかわかりやすくなっています。
〇しゃちほこ
お城といえばしゃちほこ!
そんなイメージあなたにもありませんか?私はあります!(笑)
そんなお城のイメージの代表格といってもいいしゃちほこもこちらの稲荷櫓に展示してあります。
しかもしゃちほこはお城によって姿かたちを変えるのですが、その違いまで写真で表示してくれている親切な設計!
正直みても特別なにが違うのか理解はできませんでしたが(笑)
稲荷櫓のしゃちほこ 松本城と甲府城のしゃちほこ比較
〇稲荷櫓の2階
稲荷櫓の案内はまだまだ続きます!2階もあり、そこには当時の甲府城周辺のジオラマなどが展示してあります!
現在は舞鶴城公園になる際に1/3ほどの場所を縮小しているようです。
今でいうと山梨県庁があるあたりまで甲府城の敷地があったことがわかりますね!
その証拠に山梨県庁の防災会館の地下に当時の面影を残した石垣がそのまま展示してあります。
山梨県庁Facebookより
https://www.facebook.com/yamanashipref/posts/2348160201913394/
立ち寄った際はすぐ近くに県庁がありますので、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
〇古くから伝わる伝統技術
現在でもつかわれている木組みの伝統技術です!
建造物は木を組み合わせることでさらに強度を増します。軽くて丈夫な木の特性を生かし、各部材の接合点において強度を高め、乾燥収縮による木材の変形にも対応しています。
なんとも有能な技法ですね・・・
同じ方向に木を組み合わせる「継ぎ手」や直下う及び斜め方向に木と木が交わるようにつなぎ合わす「仕口(しくち)」など様々な方法があり、その数はなんと100種類にも及ぶそうです!
木造建築において、数百年と形を残すには必須の建造技術といっても過言ではないでしょう!
日本100名城スタンプラリー
近年お城好きという方も増えてきたのではないでしょうか?
なかには各地をまわってスタンプラリーを集めている方もいるのだそう・・・
もちろん甲府城も日本の名城100に入っていますので、スタンプがございます!
スタンプラリーというだけあってどれだけ技術が進歩しようとも現地に行かなければ手に入れることが難しいものです。
集めている方は稲荷櫓(いなりやぐら)に入って右側にありますので現地まで行って押す(推す)喜びをかみしめてください!
遊亀橋(ゆうきばし)
舞鶴城公園にはいるためのメインの入り口といっても過言ではないでしょう!
この遊亀橋!橋の下には堀もあり景色もよく写真スポットには最適です!
ここからですと、石垣の形もよく見え当時のお城の中に入っていくような特別な感覚になれます!
と、ここで石垣に茶色の物体を見つけました。。。
なにかまた石垣の強度を高めたりする工夫があるのかな~とズームしていくと・・・
猫ちゃんです!(笑)
南側のよく日の当たるところで日向ぼっこしていました!
奥側にも、もう1匹いるところを見るとここが野良猫たちの住処かもしくは集会所なのでしょう(笑)
運が良ければ観光に来た際に見れるかもしれませんね!
取材の時も、今から城内に入るんだ!という不思議な緊張感をこの猫たちが癒してくれたような気がします(笑)
舞鶴城公園のシンボル?
上でも書いたように、舞鶴城は「鶴が舞うように美しい城」という由来があります。
昔はこの鶴のオブジェクトを中心に噴水が立っており、それが舞鶴城公園のシンボルだったそうです。
噴水はなくなってしましましたが、今でもシンボルは訪れた方を見守るような位置に鎮座しています。
少しわかりづらい場所にあるのでぜひ探してみてください!
2重の石垣
石垣の調査を行っていたところ、背後からまた新たに石垣が現れました。
1度石垣を積んでさらに積みなおしていたのですね!
ここまで大量の石をもともとこの場所に立っていた一条小山から削り出したという意味でもあります。
これらを石材にして積み上げさらに2重にまでしている強固な作りだということもさることながら、その労力はとてつもないものだったと想像できます。
当時の面影をそのまま残して生で見れるのは感動です!ここで戦国時代に実際に人がいて築城したんだと実感することができる貴重なスポットの2重の石垣でした!
暗渠(あんきょ)
石垣には写真のような不思議な穴が開いています。
これを暗渠(あんきょ)といいます!
雨水などが盛土や石垣に内部にたまると石垣は不安定になるので高率的に排水する必要があります。
そのためにこのような穴が石垣にはあけてあるのですね。
大きな石垣ですがこのような小さな穴一つで排水ができるとは驚きです!
まさに先人の工夫というやつですね!
史跡甲府城跡の曲輪(くるわ)
曲輪(くるわ)とはそもそもなんでしょうか?
写真を見てもらえればわかるとおり、お城はとても複雑な構造をしています。
大名やお殿様が住む場所でもあった一方、攻められた際の守備のことも考えられて作られています。
さこで曲輪のように敷地をブロックごとにわけて塀をたて区画ごとに守備をしていたのですね。
舞鶴城公園の中にも無数の石垣や、塀がありますが納得です。まさに戦うためのお城ということですね!
甲府城にまつわる豆知識
さて、見どころは尽きませんがここらへんで豆知識のご紹介をしておきます。
Q:甲府城の石垣は何年前のものなの?
A:約420年まえの築城当時のものが今も良好な状態で残存しています!
Q:甲府城下にはどのくらい人が住んでいたの?
A:江戸時代の書物からおおよそ1万2~3千人が住んでいたといわれています。
家臣なども合わせると多い時で2万人も住んでいたとか・・・
Q:甲府から江戸まで当時はどのくらいかかっていたの?
甲州街道を利用しておおよそ3.4日程度で到着していたようです。
Q:石垣を積み上げるのはどうやったの?
A:木や縄を使って下の写真のように動かしていました。
Q:塀についている穴は何?
A:ここから外にいる敵に銃や弓で応戦していました。外側は狭く、内側は大きくなっています。これは射撃の角度を広げ敵弾を防ぐための工夫だそうです。
覗いてい見るとこんな感じ。
舞鶴城公園の歩き方
取材して分かったのですが・・・
広い!!!
どこから回ればいいものか、どこにつながるかわからず行ってみると、「あれさっきも着た場所につながった・・・」
こんなお悩み解決します!!!
公園内にお勧めのルートマップが展示してあります。
電車が来るまでお城お散歩ルート
所要時間30分程度
お殿様ご登城ルート
所要時間60分程度
じっくり城めぐりルート
所要時間90分程度
のんびりおしゃピクルート
時間無制限
舞鶴城公園内に入ればこの写真のルートを実際に見ることはできますが残念なことに駅からのルートになっています。。。
よければこの記事を見ながら歩き回ってみてはいかがでしょうか?
アクセス
〇電車でお越しの場合
JR中央本線甲府駅から徒歩5分
〇車でお越しの場合
中央自動車道甲府昭和ICから約20分
無料駐車場はありませんが安い場所などをまとめた記事がありますので掲載しておきます。
あとがき
いかがでしたでしょうか?
舞鶴公園自体がかなり広く散策していたら1時間近く経っていました!
階段も多いですし、階段1段1段も高さがあるのでかなり疲れました。
欲を言えばもう少しバリアフリーが進むと観光や散歩をしやすいかなと思いました。
散歩するだけでもとても気持ちいいですし、たくさん歩きましたが気分がよかったです。
アクセスもいいので市内に来た際にはふらっと立ち寄ってみるのもいいかもしれませんね!
まだこの記事で紹介しきれていないスポットもありますのでご自身の目で確かめてみてください!
ではまた次の記事でお会いしましょう!