大きな堀と土塁に囲まれた戦国時代を感じることのできる山梨県甲府市にある武田神社!
勝負事の神様という信仰もあり、最近は外国人の観光客も増えています。
そんな武田神社を今回は取材してきました!
武田信玄とは
戦国時代の有名人、武田信玄のことを簡単におさらいしておきましょう!
NHKの大河ドラマ『武田信玄』でも放映されるほど、誰しもが知る武田信玄。
元服した際に武田晴信(たけだはるのぶ)と名乗り始めますが39歳の時、出家し法号として「信玄」とよく知られている名前を名乗り始めました。
知っての通り、昔は名前を変えることは多く、信玄公も幼いころは、太郎(勝千代とも)と名乗っていました。
武田信玄の生い立ち
武田信虎の嫡男として生まれた信玄は、幼いころから神童と呼ばれるほど、武術にも学問にも優れていました。
逸話は数多く残されており、その信玄の凄さから教育係も次々と学問や軍略書を教え込んだそうです。
父・信虎は弟である、信繁(のぶしげ)に家督を譲ろうとしていたようですが、21歳の時、父・信虎を「今川義元」のもとに追放し、家督を継ぎました。
しかし、その時代によく見られた典型的なクーデターではなく、父・信虎や弟・信繁は殺めることなく無血で家督を継ぎました。
父・信虎も信玄よりも長生きし、弟・信繁も信玄の補佐を務めたといいます。
信玄は実は体が弱かった?
勝負事の神様と称されるように非常に猛々しいイメージを持つ方も多いようですが、実は結核であったともいわれており、体はやせ細っていたといわれています。
晩年は度々吐血し、そのため進軍がとまり武田は衰えたとまで言われています。
そこまで信玄の力が強大であったことがわかりますね。
風林火山
武田信玄といえば「風林火山」
もともと武田信玄の軍旗に書かれた14文字に由来しています。
「疾きこと風のごとく、徐かなること林のごとく、侵略すること火のごとく、動かざること山のごとし」
有名な言葉ですので知っている方も多いのではないのでしょうか?
古代中国の兵法書・孫氏から引用した言葉です。
自軍の戒めであったともいわれており、敵軍への威嚇としても使われていました。
この旗は多くの戦国大名に恐怖を与えたといいます。
ライバル?上杉謙信との関係は?
武田信玄といえば、上杉謙信!といっても過言ではない!
2人はセットで語られることが多いですよね。
同じ時代に生き、ライバル関係ともいわれていた2人の関係を見ていきましょう。
幾度となくぶつかる、川中島の戦い
実は武田信玄と上杉謙信は5回も戦っています!
ライバルと称されるくらいですので、武田軍と上杉軍は何度も戦場で相まみえています。
しかし5回中、本格的な戦闘になったのはたったの1度だけなんです。
この戦いの中では武田信玄と上杉謙信の一騎打ちもあったと伝えられています。
ただ、両軍ボロボロになりながらも、決着がつかず。
そのほかの4回の戦闘もにらみ合いや小競り合いが多く、はっきりとした決着はつかなかったといいます。
度々長引く睨み合いにしびれを切らし、武田軍が和睦を持ちかけたこともあるくらいです。
このように度々戦場で会う2人にはある種特殊な信頼関係が生まれていたのではないでしょうか。
敵に塩を送る
今でも使われている言葉で「敵に塩を送る」というというものがあります。
武田信玄が和睦を破って侵攻を行ったことにより、甲斐の国への塩の輸出を禁止されることになります。
そんな中、上杉謙信は変わらず、敵対関係にある甲斐の国に塩を輸出していたことから、この言葉が生まれます。
実際は、越後の国からしても今までよりもたくさん塩を輸出できるので、上杉謙信はビジネス上手だったともいわれていますが。。。
戦国の時代に敵のメリットになるようなことをする謙信は、義に厚い人間だったこともうかがえますね。
今もなお長野県松本では「牛つなぎ石」という逸話にまつわる石をみることができます!
「牛つなぎ石伝説」参考ページ
https://www.matsumoto-castle.jp/legend/474.html
成り立ち
さて武田信玄のことが少しわかったところで現在の武田神社を見ていきましょう。
武田神社は信玄公を祀るために建てられた!
タイトルにもあるようにこの武田神社は、戦国時代、甲斐をおさめた武田信玄を祀るために建てられました。
大正天皇のご即位に際し、山梨県内で「武田神社奉建会」が設立されました。そこで集められた浄財(寺院・慈善などのため個人の利益を離れて寄付する金銭のこと)により、大正8年(1919年)に建てられました。
もともと父・信虎、信玄、武田勝頼(たけだかつより)の3代にわたって甲斐の国の国政を執っていた場所
通称「躑躅ヶ崎館」(つつじがさきやかた)の跡地に建設されました。
当時の面影が残る堀や土塁
冒頭でも少し触れましたが神社の周りには今も当時の面影が残っています。
見てわかる通り、敵の侵攻を防ぐための堀や土塁が今も残っています。
武田家が甲斐の国を治めていた時からの堀ですので歴史を感じます。
そこに武田神社につながる神橋がかかっています。
こちらの写真のわきにも石垣が覗いていて、入る前からお城の中に入っていくような感覚になり、なんとなく身が引き締まります。
いざ、境内へ!
※現在はコロナウィルス感染防止拡大のため鳥居に注意書きがかかっております。
さて階段を上るといよいよ、境内に入っていきます。
こちらも感染防止対策で一定の距離を保てるように緑のラインが引いてあります。
一定の人数が参拝し終わると、進めるようになっておりますのでお賽銭を準備しながら待ちましょう。
武田信玄の家紋ともなった菱形をかたどった手水舎です。
甲府市の市章にも菱形が採用されている通り、信玄といえば菱形!だそうです。
甲府市の市章 武田家の家紋
実際に私も調べてみるまでは意識おらず、不思議な形の手水舎だな。くらいにしかい思っていませんでしたが、こうしてみるとこだわってるな~と感じます。
その先に本殿が待ち受けています。
本殿横にはお守りが買えたり、絵馬をつるすことができる場所があります。
勝負事の神様でもあるこの場所でおみくじを引いて運試しをしてみてはいかがでしょうか?
宝物殿
※中は写真撮影が禁止されていますのでご注意ください
「吉岡一文字」という国の重要文化財に指定されている太刀が展示してあります。
この「吉岡一文字」という太刀は三条家から寄進された一振りであり、歴史的価値、文化的に価値が高いものです。
戦国時代を感じることができるこの武田神社で武士の命ともいえる太刀を見ることができる貴重な体験となるでしょう。
そのほかにも武田家相伝の鎧や、扇、武田信玄の木造が展示されており武田家の歴史や戦国時代を肌で感じることのできる場所といえるでしょう。
宝物殿のリンクを張っておきますので興味のある方はこちらもチェックしてみてください。
http://www.takedajinja.or.jp/4_homotsu.html
この宝物殿は入館料がかかります。
大人(高校生以上) | 小人(小・中学生) | |
個人 | 1名 300円 | 1名 150円 |
団体(30名以上) | 1名 240円 | 1名 120円 |
※休館日は毎週水曜日 ただし、水曜日が祝祭日などの休日となった場合は、開館するようです。
ゴールデンウイークなどの長期休みの場合は上記の公式ホームページを参考にして下さい。
国家「君が代」にも詠まれた、さざれ石
国家「君が代」にも詠まれている「さざれ石」
国家の中に出てくるワンフレーズ、「さざれ石」が武田神社創建100年を記念して奉納されました。
実はこの「さざれ石」は山梨県産のものではなく、岐阜県揖斐川町(いびがわ)産です。
この岐阜県の揖斐川町にある「さざれ石」が天然記念物に指定されいます。
皇居や明治神宮、伊勢の内宮にも「さざれ石」が奉納されており縁起がいいとされパワースポットとしても人気が高いです。
こちらの「さざれ石」は形の良さと長寿の象徴から「亀石」と命名されています。
「さざれ石」って何???
余談ですが「さざれ石」とはなんぞや???
国家で耳なじみはあるとはいえ、実際にはどのようなものか知らない人も多いのではないでしょうか?
「さざれ石」はもともと細かい石のことですが、長い年月をかけて大きな塊となった石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)のことをいいます。
武田神社に奉納されたのも創建100年を記念してのものですし、長寿を象徴するものとしてとても縁起がいいものなんですね。
しかも、武田神社に奉納されたものは亀のような形に見えることも長寿と関連していて人気があるようです。
信玄の娘の産湯、「姫の井戸」
本殿から向かって左にある通称「姫の井戸」
武田信玄の娘に「松姫」がいます。純愛の姫として人気の高い姫ですが、生まれた際にこちらの井戸で産湯がとられ「姫の井戸」名付けられたそうです。
「松姫」は織田信忠(おだのぶただ)と7歳の時に婚約しています。
手紙や贈り物をしていましたが武田家と織田家が袂をわかち、婚約は自然に解消されてしまします。
その後、武田家がほろんだあとは織田信忠が迎えにこようとしますが、織田信長が「本能寺の変」で討たれ、織田信忠も自刃したそうです。
「松姫」は誰とも結婚しないまま、22歳で出家しました。これが純愛といわれる所以ですね。
さて「姫の井戸」ですが、もともと、武田家の生活の中心となっていたこの場所となっていたため、茶をたてる際ににも使用されたそうです。
こちらの「姫の井戸」の水ですが現在でも飲水が可能です。参拝の際はペットボトルや水筒を持参して汲むことも可能です。井戸の水は、延命長寿や、万病退散の効果がありますので訪れた際は是非、口にしてみてはいかがでしょうか?
武田水琴窟(たけだすいきんくつ)
「姫の井戸」のすぐそばに武田水琴窟なるものがあります。
竹の部分に耳を当てると水滴が反響する音が聞こえ幻想的です。
仕組みは、穴をあけた瓶(かめ)を逆さに埋めその空洞に水滴を反響させています。
反響音を拾うための竹筒で周囲が騒がしくても聞こえやすく、高音の琴の音にも似た心地よい音が鳴り響きます。
元来水の音は落ち着くといいますが、工夫された水の音は心に落ち着きを与えてくれますので試してみてください。
武田神社の能舞台
武田神社には能舞台があります。
神事と能は密接な関係にあるもので神社での行事ごとの際はこちらの舞台が使われます。
戦国時代には武芸をたしなむものは同時に舞をもたしなみ、武芸に取り入れていたといいます。
能舞台の舞台下は一般的には砂利が敷き詰められているようですが、同じ山梨県内の身曽岐神社は、水でおおわれています。
水と砂利で音の反響の仕方が違うからだそうです。
身曽岐神社についてまとめた記事がありますので合わせて読んでみてください。
境内に住む吉兆のサイン
武田神社の中には画像のような不思議な鳥が飼われています。
こちらは烏骨鶏というニワトリです。
中国では「不老不死」の鳥とされていて、霊長と崇められています。
神社では動物を見ると吉兆のサインとされています。
参拝しパワースポットを訪れた後に、さらに運気を挙げてくれる神聖な鳥でした。
武田神周辺の土地
神社の周りには土塁や堀が本当に当時のままなのではないかという雰囲気でいまだに残っています。
動画では実際に行ったような体感ができるように景色を撮影してみました。
武田神社を参拝し終わってから、出口の方向に向かうとこのような風景があります。
近隣住民の方の散歩コースにもなっているようで、ワンちゃんの散歩をしている方も多く見かけました。
お次は少し長い動画になっていますが、先ほどの土塁に階段が付いていて上に上がれたので風景を撮影してみました。
お堀を上から見渡すことができ散歩コースにはうってつけではないでしょうか?
なかなか上から見下ろして歩く機会はないと思いますし、誰もが知らない秘密の通路を歩いてみてはいかがでしょうか?
甲府を見渡せる絶景
武田神社からは少し離れますが
甲府市内を見渡せる絶景ポイントがあります。
武田神社本殿向かって右側に向かうと駐車場があり、そこを出ると公園があります。
その公園を超えて、左側に見えてくるのがこちら
「竜華池」です。少し階段が急ですが、上りきるとそこには絶景が待っています。
高い階段を登り切ったかいがある景色です。
かつて武田信玄も景色を愛したんだな~と見入ってしまいました。
せっかく武田神社まで参拝に来たなら少し寄ってみるのをお勧めします。
下に場所を載せておきます。
ここでは釣りもできるようです!
公式ホームページも載せておきますのでチェックしてみてください。
「竜華池」
https://fishingmarketbear.wixsite.com/ryugaike
武田神社へのアクセス
〒400-0014 山梨県甲府市古府中町2611
〇JRを利用する場合
JR甲府駅(北口)よりバス利用で約8分
山梨交通「武田神社」行
または、「積翠寺」行を利用してください。
歩いていく場合は少し距離もあるうえ、坂道を登っていくことになりますのでバスかタクシーの利用をお勧めします。
山梨交通のバスの運行表
http://yamanashikotsu.co.jp/route_bus/route_sp_info/takeda-jinja_shrine/
〇自動車を利用する場合
中央自動車道 甲府昭和ICより30分程度
無料駐車場があります。駐車場はかなりありますが、込み合っているときは少し駐車までに時間がかかるので
早めに出発するのがよいでしょう。
大型バスも10台駐車できますので、遠足や修学旅行に利用も可能です。
利用時間9:00~16:00
※近隣に民家や学校もあるので注意事項があります。詳しく公式ホームページを確認してください。
武田神社公式ホームページ アクセス
http://www.takedajinja.or.jp/8_access.html
あとがき
さて今回は武田神社を取材してきましたが、いかがでしたでしょうか?
調べれば調べるほど、知らないことが多くまだまだ山梨のことをしれていないな~とおもいました。
武田神社に参拝したのは初めてでしたが、遠い昔ここで生活していたことを考えると少し感慨深くなりました。
また春ごろにお祭りも開催される予定ですのでそちらも記事にしていければいいかなと思っています。
今後も山梨県内の観光スポットを記事にしていきますのでぜひチェックしてみてください。